ハワード・ジョイマン エピソード7 お笑い芸人活動期

ネタ見せ会に参加し、お笑い芸人活動が始まった19歳の私。

そこで、同じくお笑い芸人を目指している相手を見つけ、コンビをくみ出しました。

最初にコンビを組んだのが酒井義明さんという方で、さっき、ネットを検索したら、その方が詩人として活躍していることが分ったので、折角なので勝手に紹介します。笑

結局、3組組み替えをしまして、最後のコンビがコンフィデンスというコンビでした。このコンビで、新浦安アーバン寄席、や三軒茶屋や渋谷で開かれたライブ、コント松竹梅の松稔さんのプロデュースするライブにに出させていただけるようになりました。

こうして、活動するうちに小山遊園地での営業に行ったり、オーディションを受けてCMに出演したりするようになったのです。

CMは、九州を地盤に事業展開している松早グループが当時フランチャイズで営業していたコンビニエンスストアのファミリーマートのCMです。

新人君というテーマでコンビニの新人店員が様々なお客さんとのやり取りをCMにしたもので、3パターン収録したのですが、その新人君を私がやらせていただきました。

監督さんは、神谷佳成さんだったのですが、この監督は、CMディレクターとしてすごい人だったとは最近知りました;笑

今も事務所に当時のCMがあるのですが、家宝ですね。事務所に来た方で見たいと言う話が出たときだけ、こそっと見ています。笑

こうして、お笑い芸人として活動していたのですが、お笑いの世界ってすごく厳しくて、毎年何千人もお笑いを目指す人が現れては消えていく世界なんですね。

しかも、面白くても売れるかどうかの保証がない・・・・。

私は、「自分は面白いから、絶対に売れる!」って思っていました。

しかし、やはり同じように面白いやつは世の中に沢山いるんですね。

当時、テレビ東京でナインティナインさんが司会を勤めていたテレビ番組「銀ブラ天国」の素人出演コーナーに友人とその時コンビを組んでた相方と一緒に出たんです。

その時に初めて、ナインティナインの岡村隆史さんを生で見たんですけど、明らかに違ったんです。

「これがテレビで売れる人なんだと・・・」

感覚なんですけど、当時、今のままでは全然勝負にならないと思いましたね。

お笑いを諦めてから15年。
ナインティナインの岡村さんは、芸人として今でも第一線で活躍しています。

私は笑人として、全国の商店の繁盛店作りのサポートをしています。

岡村さんは芸人。私は笑人。

仕事の内容は違います。

でも、人を笑顔に、そして幸せにすることは違わない。

私は元お笑い芸人の中小企業診断士「笑人No1」として、
これからも全国の商店主の方が笑顔になるようにサポートを続けていきます。

「岡村さん、芸人では負けました。
 でも、笑人では負けませんよ!」

芸人に芸人魂があるように、
笑人には笑人魂があるんです!

活躍する場は違うけど・・・、
思いは1つです。

ハワード・ジョイマン、15年後の愛と笑いの宣戦布告です(笑)

 

ちなみに、店舗経営もお笑いも同じです。

マーケティングの本などを読んでいても、実際は駄目なんですよね。多くの経営コンサルタントは、自分の書籍を買ってもらいたいから、勉強しろ勉強しろと言いますけど、本当は、本などかって勉強してもたかが知れているんです。

本なんか読むよりも街に出て、自分自身が体験することが一番なんです。その体験時の喜怒哀楽の数が多ければ多いほど、繁盛するお店作りに役立つんです。

だから、私はご縁があった方には本を買うお金があったら、身近なところで良いので、沢山遊ぶように行っています。

私も、東京には最近は行く回数が減りましたが、清水静岡でかなり色々なお店に行ったりして、経験値を増やしていますよ。このように自分自身で体験したことが知恵となって、商売繁盛に生かされるんですよね。

話がずれましたが、そんな中で、家族には26歳までにレギュラー番組を1本持っていればそのまま続けて良いといわれていたのですが、芸能界で現在の状況で勝ち残れるか?考えたときに、無理だと思いました。

そこで、お笑いは大好きだったんですけど、スパッとコンビを解消してお笑いもやめたんです。

現在、構成作家で活躍している方がいるんですけど、その方に「もったいない」と言ってもらったのが、その時は嬉しかったですね〜。

その後、ライブなどで一緒になっていてドラックという名前で人気が出てきていたコンビが、ドロンズという名前で、「進む電波少年」という番組でアメリカ横断ヒッチハイクの旅に出たりしていました。

時代を感じますね。でも、圧倒的に消えていく方の方が沢山いましたね。

とはいうものの・・・、正直な話、あの当時は逃げたんですよ。色々なテレビ番組を見ていても、「僕ならこの場面では、こう言ったのにな〜」とか色々考えたりしますからね。

だからこそ、中小企業診断士試験は途中で逃げたくなかった。最後までやりきらないといけなかった。自分との勝負です。そして、6年かけて資格を取得したんですね。

お笑いを始めた頃に話を戻しますね。

当時は、週末は原宿が歩行者天国(ホコ天)になっていて、私は友人たちと原宿に来た方たちにネタをやっていました。

実は、その僅か100m隣のクエストの前では、吉本興業に入る前のロンドンブーツ1号2号さんが、ネタをやっていたんですよね。

今では、なぜ、ロンブーが勝ちぬけて、自分は全然駄目だったのか分ります。

距離的には僅か100mの違いでも、見えない距離があったわけです。

このように競争の激しい芸能界の生き残り模様を見ていると、まさに、戦略のある方とそうでない方との明暗がくっきりと分かれています。

この時の経験があったからこそ、現在の経営サポートに大きく役に立っていますよ。

昔の方は、いい言葉を残しましたね。『苦労は買ってでもしないさい』って。

僕は、ギャグは思い浮かばない。お笑いでは才能が全く無いけど、人の笑顔をみるのが好きなんです。

 

実は、経営コンサルタント開業当初も、全然駄目でした。

市役所時代の同僚から「お前、中小企業診断士だってな。自分の人生を診断しろよ」と罵倒されたり、全然仕事の依頼がなくて、食欲がなくなり悩み病院にも行った。

そんな時、ある経営者の方のアドバイスで、お笑いを活かせば良いじゃんと気付いた。

それまでは、経営者の方に元お笑い芸人だったといったら馬鹿にされると思い、ひた隠しにしていたんです。

お笑いを隠すんではなく、お笑い経験を生かす。

そして、本当の自分に気付いた。

そして、改めてお笑いや漫才に向き合うと、お店を繁盛させるのも一緒だということに気付いたんです。

そして、お笑い芸人の知恵と経験を商売に生かすようになり、仕事の依頼も増え、関わったお店の売上が着実に伸びていった。

1度は断念した 『お笑い』。

そのお笑いが僕を救ってくれたんです。

お笑いには心から感謝しています。

だから、今度は、僕がお笑いに恩返しをする番なんです。

今、世の中は不況で皆、笑顔を失っています。元気を失っています。

だから、笑人として多くの方が笑顔になれるよう
頑張って生きたいと思っています。

人生に無駄なことは一切ありません。

お笑いも商売も同じです!
『滑った数だけ成功に近づく!』

エピソード8 ギャンブル熱中期

 

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